こんにちは。日本語科四年生の、キム チャンギュです。



 

夏休みの間は、本当に色々な事がありました。自分なりに、大学最後の休みだと思って色々な事に挑戦してみたのです。今まで何となく生きてきた、自分自身への反省の意味も込めて。

 



まず、一つ目が公募展です。今年は、大韓民国の政府が出来て60年目の年です。ですから、政府では色々な行事が行われました。私はその行事の中で、
大韓民国60年記念、大学生の内閣という公募展に合格し、外務大臣として一ヶ月間活動しました。大臣の前でプレゼンしたり、外務部の公務員をインタビューしたり、番組で討論したりと貴重な経験が出来ました。一ヶ月半の間、寝る時間が余り無く仕事ばかりでしたが、幸いにも結果が良く、やりがいがあったと感じています。

 


二つ目は随筆家のデビューです。
ある小さな文学雑誌に、今まで書いた文の中の一つを送りました。運よく、それで随筆新人賞をもらいました。子供の時からの私の夢は、世界の色々な所へ旅行して、その国の人と話したり、その国でしか出来ない色々な経験をしながら、文を書くことでした。

その夢の、第一歩を踏み出す事が出来て嬉しかったです。

 



最後は、外国語の弁論大会への参加です。ご存知の方も結構いらっしゃると思いますが、私は軍隊を出て来るまで、ですから大学2年生が終わるまで。ひらがなさえ覚えなかった怠け者でした。たぶん日本語科創立以来、学校に2年間通ったのにひらがなさえわからなかった学生は私が唯一じゃないかと思います。本当に最高のバカと言う事です。とにかくそんな私ですが、勇気を出して大会に参加してみました。通訳、翻訳分野はやっぱり漢字がすごく多いのであきらめて、スピーチ分野に参加しました。そのスピーチは、先学期○○
先生の期末試験の時やったスピーチとほとんど一緒です。今度も運良く良い結果が出て嬉しかったです。

 



何かこの様に話すと、ただの自慢話になってしまいますよね。能力も無いくせに公募展に応募したり、色々な大会に出たりと。ですが、これには訳があるのです。半年位前から、祖母の体の具合が悪いと聞きました。その2年前、不意の事故で祖父が亡くなりました。その時、私は彼に情けない姿しか見せた事がありませんでした。成績はいつも最低で高校生の時と同じように、生活もめちゃくちゃでした。そして現在、祖母の具合があまりよくないと聞いた瞬間、想像も付かない程の不安が私を襲ったのです。このままでは、祖父の時と同じように祖母にも情けない姿しか見せる事が出来ないのではないかと。

 

 

 

要は、皆さん後悔の無いよう家族孝行しましょう。ご清聴ありがとうございました!

 

 

note by 죽지 않는 돌고래 / 08년

+ Recent posts